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PAI 第三週

96年ニューヨークに渡る。International Center Of Photography(ICP)卒業後フリーのフォトグラファーとして活動開始。ペインター、ライター、メッセンジャー、ミュージシャンなどの"everyday life"な写真をドキュメントし続けている。またそれを収めたzineなども制作している。Commune所属(www.commune-ltd.com)




PAIさんインタビュー(3)

ニューヨークでの様々な人との出会い。そして現在、今後の進む道は?
さらに話は深く、濃く、彼女の人間像が現れてきます。


ZEROMAGAZINE(以下Z):
一番最初にNEWYORKで知り合ったペインターは誰ですか?

PAI (以下P):
プエルトリカンでPNBとかやってたブラスターです。
元々ニューヨークに住む前に仕事の関係とかで知り合ってたんですけども。
それでちょうどブラスターに『いい人紹介するよ!』って言われて紹介されたのがデイヴィッド・エリス(スクワーム)です、バーンストーマーズの。
その時はまだバーンストーマーズやってなくて、MOS DEFの『BODY ROCK』っていう曲があったでしょ?

Z:
Q-Tipと競演している曲ですね。

P:
そうです。
ちょうどあの曲のPVを彼が撮ってて、それの現場に遊びに行ったのが初めての出会いですね。
で、その出会った翌年からバーンストーマーズが始まるんですけども、そこで『PAI写真撮らない?』って言われて、そこからが結構面白いですね。

Z:
ブラスターも有名になってますよね!
そう言えばブラスターは確かアレもやってますよね...何だったかな? え〜と...そう!G-UNIT。

P:
え〜!マジですか?!

Z:
確か、その辺のデザインやってますよ!奴は今!

P:
へぇ〜、そうなんですね!ブラスターももう長いですもんね、あの世界。

Z:
長いですね〜!気が小さいですけどね。(笑)

P:
気が小ちゃいですよね(笑)確かに?(爆笑)!

Z:
そうそう(笑)。
この間、何かで見た時にJAY-Zのロカフェラのデザインもやってましたよ。

P:
あの人もフェイム・シティー・クルーですもんね。
それで、そこから私のNEWYORKでの一番大事な時期が始まります。
デイヴの紹介で、マイク・ミンやカウズとか色んな人達と出会いましたね。
その頃、ライアン・マクギネスのサンクスギビングのパーティーにも連れてってもらったりしましたね。
その時は彼もまだ全然有名じゃ無くて、そういう売れる前のみんなに結構、会ってたかも知れないですね。

Z:
あの辺は最近ドキュメント映画にもなってますもんね。

P:
そうそう。凄いですよね。
ちょうど90年代終わり、10年程前ですね。みんなまだアーティストとして『やるぞ!』という頃ですよね。
まだ今みたいにストリートアートとかも氾濫してなくて、良い時だったような気がしますね。
で、そこからですね。写真をもっと撮りたいなと思ったのは。

Z:
なるほど。
それで被写体が人から作品に変わって行くじゃないですか、それは必然的にそうなっていったみたいな感じですか?


P:
そうですね。

Z:
結局出会いですよね。

P:
出会い!それは凄く大きいですね。
それまではずっとレゲエとかの濃い〜黒人ばっかり撮ってたけど、今度は色んな人種がいるじゃないですか。

Z:
そうですよね。プエルトリコもいるし、白人もいるし。

P:
そうそう。
アジア人もいるしで、でもみんな志が似てて、お金とかじゃなくて、自分のやりたい事をやってる気持ちいいアーティスト集団。
一番最初のバーンストーマーズの時はフューチュラやカウズ、エスポとかの大きいショウがあったんですけども、そこで『みんな行くよー!』って全員バンに乗り込んで、ベロベロでノースカロライナーに行ったりとか。
そういう体験ってなかなか出来ないでしょ?

Z:
そうですよね。

P:
私は、日本から来てる普通の人ですから。全部が新鮮でしたね。

Z:
刺激的でしたか?

P:
もう、刺激的!
シャッターを押すのをやめられない状態!こういう感情ってバーンストーマーズの時以来まだ味わってないですね。

Z:
凄く熱い!想いですね。

P:
そうですね。
自分でも何本撮ったか分からないくらい、とにかくフィルムが無くなったら入れ替えてっていう。もう手が止まらなかったですね。

Z:
そういうのってタイミングと言いますか、その瞬間にそこに居るか、居ないかだけですもんね。

P:
そう!そうなんですよ!
そこに居れたのはデイヴのおかげです、デイヴと彼女のキクというカップルの存在は私のNEWYORKでの生活の中ですごく大きいですね。
彼らが居なければ今の自分も無いかも知れないですね。

Z:
なるほど、それで結局NEWYORKには何年居ましたか?

P:
5年間居ましたね。

Z:
5年間もNEWYORKに居て、なぜ日本に帰ろうと思ったのですか?

P:
それが不思議な話で、私が帰国したのが『9.11』の1ヶ月前なんですよね。 ちょうどその頃に、何故かNEWYROKに居たくないな〜と思って...何故かここを出たい〜!ってなって...もう動物の感ですよ! 『家族と一緒にいなきゃ!』と凄く思って、もちろんデイヴとキクにはすごく引き止められたのですが。
デイヴは『ボクと結婚しよう!』って言ってくれて、彼女のキクも『いいじゃない結婚すれば!そうすればNEWYORKに居られる!』って言ってくれたんですけど(笑)。
でも、とりあえず日本に帰るって言って、それで帰った一ヶ月後にちょうどあの事件があったから。
そういう意味で自分の直感を信じて良かったなあ?と思いましたね。

Z:
NEWYORKを後にする事に関しては悔いは無かったですか?

P:
無いですね!もうお腹一杯?!って感じで。
このままダラダラとNEWYORKにいても楽しかったんですが、何か欲望だけでいる所じゃないなって思いましたね。
その頃からみんなビザが出なくて、帰らなければならない人がいたりとか色々そういった振り分けがあって。
結局、NEWYORKに居続けれる人って、居る意味があったり、縁があったり。お金持ちであったりとかも、ひとつの理由ですよね。
そう考えると、私は無理矢理いる必要は無いかなって...その時に仕事が決まってて、ビザが下りるとか結婚相手がいるとかならそのまま居てもいいと思うけど。
私には別に何も無かったから。
必死になって何十万も出して弁護士雇っても、何かそこにしがみついてるだけじゃないかなと思って。
それじゃあ、日本に帰ってキャリアを積もうと思いましたね
自分の生まれた国ですし、自分の国でしっかり有名にならないと意味が無いじゃないですか?

Z:
そうですよね。それで日本で何かしようと。

P:
はい。
日本で活動しようと決めました!NEWYORKにもすごく居たかったんですが。だって、NEWYROK絶対に楽しいんですよ?!
間違いなく絶対楽しいでしょ?

Z:
そうですね!(笑)。

P:
でもやっぱりお金もかかるし。それと色々あって、もういいかなと思いましたね。
別にみんなにいつでも会いに行けるし、結局、帰ってからも3ヶ月ごとにNEWYORKに行ってましたね。







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