INTERVIEW

風間直実其の三

10/03/29

ナオミちゃんインタビュー、最終回!

芸術の語り部の勢いは止まらず、進む!進む!

本人は今何を想い、絵に打ち込んでいるのか...

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N:
McEnroeばかり求められてて、自分の中でそうじゃないんだよなって思いがあったんですよね。

いろんな物を見て、いろんな人と出会って、自分の世界はどんどん広がってましたから。

Z:
McEnroeは、かなり求められたのですね?

N:
Tシャツにしても、雑誌のロゴとかにしても依頼が来たら、だいたいMcEnroe風でって言われてましたから。

その時は自分のやりたい事がそこには無かったですからね。

それを口で言っても分からないんですよね。

『 ああ〜...また面倒くさい事アーティストが言ってるな... 』みたいな感じになるんですよ。

Z:
まあね(笑)

N:
でもアーティストは言葉じゃなくて、形にしてなんぼですからね。

そういった意味でこの作品は言葉なくして、形に出せたと思うんですよ。

そこから、描いて、描いて、描いて、を繋げて、洋服がスローダウンしていって、絵を描く時間が増えて、今のスタイルが出来上がったんですよね。

Z:
これですか!

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N:
この作品とかは究極ですよね、現状の。

どんどんミニマルになっていった感じで。

僕は頭で考えて、複雑にしてしまう傾向があるんですよね。

でも、そうすればするほど迷いも増えちゃうんですよ。

そういうのではなくて、求めてるものは自分と直結してるものなんですよね。

今、世界的に見ると和風っていうか、和のテイストでポップみたいなのが受け入れられてると思うんですよ。

もちろんそういった感覚を自然と出来てる人も居ると思うし、そうじゃなくてそこをマーケティングしてやってる奴らも居るだろうし。

Z:
絶対数で言うとマーケティングしてやってる奴らのほうが多いですよ。

N:
そうですよね。

自分の作品はそういった時代が無い絵なんですよ。

絵は自分自身ですから。

そう考えると絵で食っていくって、すごく難しいことだと思うんですよ。

そんな中でSHOWをやらせてもらえて、絵やポスターが売れてって考えるとすごい事だと思うんですよね。

今まで自分は常にコップに水が満タンに入ってて欲しいと願ってたんですよ。

もちろん絵を追求する上で、満たされたいからコップを満タンにしたいです。

でもリアリティとして時代があったり、マーケティングがあったりする。

そこに合わす事をすると、一生コップは満タンにならないと思うんですよ。

自分の描きたいものを描かせてもらえて、食えるほどじゃないけど買ってくれる人達が居てって考えると、かなりラッキーなんですよね。

Z:
そうですよね。

N:
コップに水が半分入ってたとすると、半分しか入ってないってことじゃなくて、半分も入ってる! って見方だと思うんですよね。

Z:
今の時代、それに気付いてなかったらヤバいですよ。

N:
そうですよね。

Z:
今の時代は満タンを求めてる人がいっぱい居ると思うんですけど、それを求めてたらこの先はキツいですよ。

半分ぐらいで納得じゃないですけど、オッケーにしとけばこの先も大丈夫だと思うんですよ。

常に満タンなんてキープできないですからね。

半分に減らせば、また満タンになる時が来ますけど、人間って良い時があるから満タンって味わうじゃないですか。

満タンから減っていくと、満タンにしたくなるんですよ。

その為には嫌な事もしなければいけないし、もっと違う事もしていかなければならないですからね。

半分で良ければ自分のやりたい事をやっていけますもんね。

N:
そう! そこなんですよね!

絵そのものに対しては半分というわけではなく、満たすべきだと思うんですけど、それで食えるか食えないかを悩むのはお門違いかなって、最近思うようになったんですよね。

まあ、子供が居ますから責任の部分がありますけど、そこで洋服をやってしまうと大変なんですよ。

洋服もフルで頑張って、絵もフルで頑張るっていうのは正直キツいです。

最近は体を使って仕事をしてるほうが気持ちがいいんですよね。

体を使うと前向きになれるし、全然違う行為だけど『 よっしゃ〜! 今日は仕事頑張った。残りの時間は絵に使える! 』っていう時間の配分ができるんですよね。

時間と自分のエネルギーをどこにどう使うかですね。

バイトのほうだとクリエイティブな部分って求められないじゃないですか。

Z:
ええ、確かに。

こなす事を求められますよね。

N:
だから楽なんですよね。

もちろん絵で食べていけたらいいなって思いますけど、今の自分のスタイルを考えると1つの作品を作るのにすごく時間がかかるんですよ。

だからそれを売りたくもないんですよ。

自分の時間と労力を一番費やしたものは、できれば葬式で飾りたいなって思うんですよね。

他の作品に関しては売り物っていうか、だからと言って手を抜いたことではないんですけど。

とにかく、あまり先を決めつけてやるより今、ここ、です。

NOW HEREな生き方しかないんじゃないかなって思いますね。

この10年だけで、今話してきたようにいろいろあったんですから、間違ってないような気がするんですよね。

このまま自分らしさをもっと追求して、責任の部分も全うしてやれれば幸せなんじゃないかなって思うんですよ。

Z:
自分もナオミちゃんと付き合い長いですけど、さっき話したマッケンロー、丸の時も周りから反響があったじゃないですか。

また自分がオッケー! っていう時が来ると思うんでよね。

勝手について来るものですから。

N:
そうです、そうです。

Z:
自分もいろいろやってきましたけど、自分っぽくないなって思ってやってる時は納得もしてないし、お金が発生したとしても結局は繋がっていかないんですよ。

一瞬、繋がってお金は入ってきますけど、次には繋がらないですね。

自分で納得がいってて、反響があった時はその後もずっと続きますもんね。

でも常に同じことをやってるのは嫌だし、新しいことをやっていきたいと思ってるんですけど、その狭間に今ハマってる感じですね。

それを経験してない人って居ないと思うんですよね。

テレビとか観てても、大会社の社長は絶対に苦労してるし、苦労しなかったら次にも進めないですよ。

この2年ぐらい大不景気っていわれてるけど、いろいろ見えたから良かったと思うんですよね。
景気が良かったら見えないですよね。

お金だけを追いかけたヤバい人間ばかりになっていくところでしたよ。

N:
本当にそうですよね。

Z:
友達が大事とかも分からないし。

N:
やっぱり人間ってどんどんハングリーになっていくと思うんですよね。

松井とかイチローって凄いと思いますよ。

金があるのにあれだけハングリーになれるっていうのはね。

でも、奴らにはできない時間とエナジーの使い方が自分にはありますからね。

比べることもできないけど、自分にしかできないことができてるっていうのが誇りです。

それに気付きましたね。

前まではMcEnroeに反応されてても、リアリティがそんなになかったんですよね。

もちろん、自分が良いと思ってやってるから、反応してくれれば嬉しいですけども違和感みたいなものも感じてましたよ。

STUSSYにしても、丸しか描けなくなった自分の作品を使ってくれた時、壁を越えられた気がして納得もしたけど、周りとの温度差みたいなものもあったんですよね。

STUSSYというものを介してるんですけど、自分はSTUSSYを着る人間じゃないんですよ。

Z:
着ないですよね(笑)

N:
だからタイプが合わないんですよね。

大図もそうですよ、自分以外はグラフィティライターで、ヒップホップですから。

俺だけニルヴァーナでロックですよ。

ただ、違うジャンルの人と仲良くなれる、それって凄く良いことだなとも思うんですよ。

周りはスケーターだけど、俺だけサーファーですしね。

それを通じてスケートやって感じるんですけど、サーファーって個人プレイのスタンスですけど、スケーターって温かいんですよね。

仲間意識があって、シェアすることを知ってるというか。

そんなことを考えてると、自分って何かにハマらないんですよね、きっと。

本当、ナオミなんですよ。

だからマーケティングに乗りづらいので、物を売りづらいとは思うんですけどもね(笑)。

それって面白くないと思うんですよね。

この国は右向け右、安全・安心が大好きな国だから、自分にとってはやりづらいかも知れないですけど、何かをコンプレックスに考える必要はないんじゃないかなって感じますね。

突き進めばいい! って絵が教えてくれてたと思うんですよ。

次は、McEnroeや丸を通さず、ダイレクトに繋がれるかも知れないですね。

そんな幸せなことないですよ。

だから極論、やるだけってことです。

Z:
まあね(笑)。

最終的には。

N:
1日24時間、その日その日をどういう風に過ごすのかってことですよね。

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Z:
最近はどういうことをやってるのですか?

N:
絵ってことですか?

Z:
ライフスタイルは? ってことで。

N:
最近はまず、バイトを3つ。

まず朝6時半からの八百屋の配達ですね。

Z:
それは毎日やってるのですか?

N:
ほぼ毎日ですね。

それとアパートの掃除が月1回。

あとは週末に大仏のハイキングコースにある喫茶店ですね。

Z:
そうなんですね〜。

N:
昔の人って知恵を持ってるじゃないですか。

今はそれをインターネットやiPhoneのような道具でカバーしちゃいますよね。

だから道具がないと成り立たなくなってるんですよね。

昔の人って代々受け継がれてきた知恵があるから、道具がなくても平気なんですよ。

Z:
なるほど、そうですね。

N:
基本的に絵を一日中描いてると体を動かさないでしょ。

絵を描くことは自分との対話でもあるし、インナートリップみたいなところがあるから凄く良い行為なんですけど、体力的にキツいんですよ。

同じ態勢でずっと描きますからね。

それを毎日繰り返してると、ネガティブになる時があるんですよね。

すぐに終わるような絵じゃないですから、長い間トンネルの中で光りが見えてこないと、終わるのかな? って思って妙な方向に進むんですよ。

ふと気が付くと、やっぱり体を動かしてないんですよね。

体を動かさないと前向きにならないんですよ。

何ヶ月もかかる絵だから、やっぱり体を動かすことも取り入れないとダメなんですよね。

それに今の食べ物って注意しないとカロリーが高いのばっかりじゃないですか。

今はまだ若いから良いですけど、そんなのばっかり食ってたら病気になりますよ。

Z:
そうですよね。

N:
バイトは山の中の喫茶店だから、自転車で行くんですけどアップダウンが激しいんですよ。

それがね、何か気持ち良くなってくるんですよね。

体動かすと酒も美味いです。

八百屋の配達も体を動かしますし、掃除なんて特に最高ですよ。

掃いてるとだんだん体が温かくなってきて、しかもどんどん自分の中に入って行くんですよ。

それに加えてお金がもらえて、綺麗になって、周りの人が喜んでくれる。

お金払って食べたカロリーを消費する為に、お金払ってジムに通って、労力と時間を使うのって要領が悪いと思うんですよ。

その掃除のバイトをひとつやるだけで、エクササイズできて、その場が綺麗になって、自分を見つめ直すことができて、しかもお金までもらえるんですよ。

Z:
オイシイですよね。

N:
それって凄く要領がいいと思うんですよ。

昔の人ってそれが当たり前だったんですよね。

Z:
そうですね。

N:
朝起きて、農作業して。

Z:
太ってないですもんね。

N:
農作業はエクササイズにもなって、ただで自然から食べるものをもらえるじゃないですか。

今ってそういうことじゃなくて、あれもこれもって足していくことばっかりだと思うんですよね。

消化することが少ないんですよ。

絵に関しても、複雑なことをやるっていうのは足して足してって感じになるんですよね。

iPod持ってるのに、iPhoneも持ってるみたいな。

保持してるエネルギーをどう使うかってことに気付くと、見方が変わってきますよ。

プリウスに乗ったらエコか?

いやいや、自転車に乗ってる奴が一番エコでしょ。

エコにも貢献して、エクササイズにもなりますからね。

Z:
本当ですよね。

N:
だから何度も言いますけど、絵も複雑なことになるんじゃなく、コンセプチュアルでもなく、ド直球でシンプル、なおかつ深みのあるものになってきてる感じがしますね。

絵って微妙なんですよ。

無くても成り立つ世の中、って言いたくないけど、極端な話、人間って食べ物さえあれば生きていけますよね。

そう考えるとアートって一番最後に来るようなものだと思うんですよね。

でも絵って食べ物を越える可能性ってあるんじゃないかな? って考えるんですよ。

人間にとって一番ダイレクトなものが食べ物で、その次が音楽だと思うんですよ。
音楽もダイレクトなものだと思います。

その次に来るのが芸術だと。

世の中的に価値観が変わってきてるから、アートってそういう風になれると思うんですよね。

ダイレクトなもの、自然を知ることって面白いと思うし、自然には敵わないんですよね。

宗教とかはよく分からないですけど、自分が唯一信じれるものは食べ物なんですよ。

自分の宗教は食べ物ですね。

食べ物を養ってくれる自然は神様なんですよ。

そのシンプルで力強い世界観が自分は好きで、それを表現したいと思うんですよね。

Z:
ナオミちゃんならできますよ!

N:
はい!とりあえず、アイスクリーム(笑)。

Z:
読んでる人は何のことやら分からないと思いますけど、とりあえずアイスクリームやりましょう(笑)
最後にアイスクリームって何やねん! っていう(笑)

N:
1回しかない人生ですから、好きなことを一生懸命やったほうが良いですよ。

Z:
放っておいても死にますから。

死ぬ間際にあれもやって、これもやってと思うより、やってから死んだほうが絶対良いですからね。

N:
いや〜、本当にそうですよ。

やるならその時にしかできないことがあるから、それをやるべきなんですよね。

Z:
そう! だからアイスやりましょう!

N:
やりましょう!Ben & Jerryで。

Z:
ありがとうございました!

N:
ありがとうございます!

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絵は感性とテクニックだけで表現できない。

その人の育ってきた原風景があり、生活があり、心がある。

ナオミちゃんの作品からは、それがありありと滲み出ています!

後悔のない人生を歩む姿は、素敵に輝いて眩しいばかりです!

次回の更新日は4月5日です!

風間直実其の二

10/03/22

ナオミちゃんインタビュー、第2回!

大図の知られざる事実、そして終焉へ...

インタビューはさらに大きく膨れ上がり、話は世の中の動きに流れていく...。

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Z:
なぜ、大図を終わらせようと思ったのですか?期間が決まってたから?

N:
う〜ん、なぜやめようと思ったか...。

Z:
その前になぜ、GASから大図に変わったのですか?

N:
それは、GASBOOKってあったじゃないですか。

あれがたまたま商店街の中にあったんですよね。

その頃ってALifeとかRelaxとかそういう感じの時期で、要はGASBOOKがアート系のお店を出したんですよね。

それで、大図に雑誌のインタビューが来たんですよ。

GASBOOKにインタビューに来たつもりが、ウチのGASに来てたんですよ。

Z:
間違えたと(笑)

N:
ええ(笑)。

それでややこしいなぁって話になって。

そんな時に大豆おせんべいのシールがコンピューターの所に張ってあって、KAMIが『 大豆でええやん! 』って言ったんですよね。

後で俺が"豆"の部分を"図"に変えた感じですね。

大きい図形で大図。

Z:
じゃあ、特に意味もなく、紛らわしいからですね。

N:
でも、今思うと良いですね。

何か自然な感じがするというか。

Z:
そうですね。

まあ、そこからどんどん辞めていく感じになるのですか?

N:
自分はだんだん孤立していくんですよね。

テンションも服のほうへ流れて行くし...

自分としては分けたつもりはないんですけど、周りから見れば『 俺の方向に行く! 』みたいなことだったと思うんですよね。

東京にも住んでなかったし、子供も居たから夜は家に帰るじゃないですか。

Z:
そうですね。

N:
それで『 KAMIちゃん、寂しそうだよ 』ってサスに言われて。

申し訳ないっていうのはなかったですけど、その中で孤立していった感はありましたね。

正直、最後のほうは服も売れなくなって、店を回すこと自体も成り立たなくなってきてたんですよね。

みんなにデスク貸しみたいな感じで、シェアしてもらってたんですけど、お金の事を言うのって苦手なんですよ。

誰でも苦手かも知れないですけど。

今日月末なのに、何で入ってないの? って内心は思ってるけど、そういうの言えないじゃないですか。

Z:
みんなにね。

N:
そういう関係じゃなかったし、会社じゃなくて個々が好きなことをやって成り立ってたわけじゃないですか。

他には夜中に酒飲んだり、スケートやったりして楽しんでると、商店街の周りは心地良く思ってなかったみたいなんですよね。

うるさいし、危ないし。

で、その商店街の町内会みたいなものに呼び出されるのはスケートしてる本人じゃなくて、借りてる俺なんですよ。

でも良い話があって、不動産屋が町内会長に『 そこを出て行く、出て行かないは、不動産屋の自分が節度を見て決めることだ 』ってバッシ〜! 言ってくれたんですよ。

Z:
おお〜! シブいですね〜!!

N:
こういう温かいこともあるので、その分やる事はちゃんとやろうよ! って思うわけですよね。

でも、それをやってる奴らにやっぱり言えないんですよ。

この辺はタギングするなよとか、スケートするなよとか、言う為にその場所をやってなかったですから。

Z:
そうですよね。

N:
なぜかそういうシチュエーションになってしまったんですよね。

タギングするのもスケートするのも、凄く気持ちが分かります。

でも周りの目もあるから、ストレスが溜まったと思うんですよね。

場所としての機能も溜まり場的になって、ダラ〜っとしなってました。

それは俺もいけなかったと思うんですけど、最初の頃の緊張感が無くなってしまってましたね。

それで賃貸が最初1年だったけど、3年に伸びて、結局この日までに出て行ってね、ということになったんですよね。

その後にクメちゃんが"大図経験"を始めたんですよね。

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Z:
ナオミちゃんは"大図実験"でクメ君が"大図経験"。

大図はナオミちゃんが作ってるじゃないですか、それに関しては何も思わなかったですか?

N:
もちろん個人的に思いましたよ。

自分で会社設立してて、その会社名が"大図"でしたしから。

その時、クメ君と話した時、新しく始めるのなら新しい名前でやれば良いんじゃない? って言ったんですけど、向こう側の話だと大図て名前に愛着があったみたいなんですよね。

それとやっぱり認知度があるから"大図"という名前は入れたいってことだったんですよね。

自分も一人で大図をやったわけではないし、みんなが居てくれたから大図だったし。

そういった意味で頑にNOとは言えなかったですね。

シェアすることは魅力的だと思うから、良いんじゃないって言ったんですよ。

それで"大図経験"ってお店になったんですよね。

Z:
そうなんですね〜。

その3年間の中で印象に残ったSHOWって何ですか?

N:
そうですね...最後のSHOWと...何だろうな...。

これは面白い、ぜひやってもらいたいって思った人ばかりだったので、そういった意味では全部ですね。

自分の青春です。

後になって感じるのが、その時にしか出来ないことがあるんだなって。

Z:
ありますよね。

N:
大図が良い思い出だから、もう一回同じ事をやろうと思っても出来ないじゃないですか。

Z:
確かに出来ないですよね。

N:
結局、人間って時間と労力、友達と家族しか持ってないんですよ。

個人としては時間と労力だけですよね。

それを何に注ぎ込むかって話なんですけど、1年365日、1日24時間しかないですから。

飯食う時間と寝る時間以外はクリエイティブなことにエナジーを費やしたってことですね。

そう考えるとまさに青春だし、その時にしか出来ないことって感じまね。

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Z:
それで洋服のほうへ行くじゃないですか、それはどういった理由ですか?

絵じゃなくて、服をガッチリやってた時期がありましたよね。

N:
そういう風に見えてると思うんですけど、毎回コレクションにテーマを設けてたですよね。

あたかもコレクションブランドかのように。

それのビジュアルを作ってたんですよ。

Z:
ナオミちゃんが?

N:
そうなんですよ。

だから僕的には着れるけどアートというか、アートと言ったら大げさかも知れないですけど。

ビジュアルとその世界観を表した服、みたいな感じでやってて、それが面白かったですね。

Z:
なるほどね〜。

N:
今みたいな時代になると、結局そういったものが抽象的になっちゃうんですよね。

やっぱり服は服になっちゃうじゃないですか、着れてなんぼですから。

メンズの場合は特に実用性だったり、もしくはユニクロみたいに着ててボロボロになっちゃったけど、安かったからいいやみたいな。

アウトドアウェアみたいに縫製がしっかりしてて、温かくて、機能性が高くてみたいな部分とか。

要は服に対して納得感が昔以上に追求される時代になったと思うんですよ。

だからアートっぽい感じ、コレいらんやん! コレ付いてなくてええやん! みたいな架空というか抽象的なものは必要ないのではないかと。

コンセプチュアルじゃなくなったってことです。

コンセプチュアルって日本語で言うと概念芸術というか、実態の無いものですよね。

そういう物ではなくて、食べ物のように美味い、不味い、元気になった、腹を下したとか、ダイレクトに実感するようなものが好まれてる時代だと思うんですよ。

Z:
確かにそうですね。

N:
そういう意味では洋服はやっぱりアウトサイダーですね、アートもそうですけど。

教養を受けてやってるわけではないですから。

ビギナーズラックじゃないですけど、アウトサイダーだからある可能性も感じますよね。

その突拍子のなさがアートだと思うんですよ。

僕のアートですね。

そういった意味で洋服は、時代もあって縮小してきてますね。

逆にそうなると時間も余るじゃないですか。

Z:
ええ。

N:
今思えば、洋服とアートをそうやってくっ付けて、やった感に浸ってたと思うんですよ。

Z:
自分のですか?

N:

そうですね。
ある程度のエネルギーを使いますから、おお〜、やったな〜! っていう気持ちになっちゃうんですよね。

物を創造したなっていう気持ちに。

絵に関しては最近ですね。

やっと自分だっていう絵が描けるようになりましたね。

もちろん大図の時も絵を描いてましたけど、周りはスタイリッシュな奴らばっかりじゃないですか。
だから自然とスタイルを求めるようになってしまった自分が居たんですよね。

スタイルっていうのは結果論だから、スタイルだけでやってしまうと、とんでもないことになてしまうんでよね。

結局、薄っぺらいですから、自分探しになっちゃうんですよね。

迷うし、そこから脱却したいって考えるし。

それで最後には何も描けなくなっちゃったんですよね。

Z:
そうなんですね!?

N:
丸しか描けなくなったんですよね。

もう、丸を描くのがすごく気持ち良かったんですよ。

その丸から生まれた絵が...

これですね。

Z:
STUSSYの時の作品ですね。

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N:
そうです。

その時に何か納得感が生まれたんですよね。

自分の過去の作品をスキャニングしていくと、すごい数がありますけど、自分とダイレクトに納得して繋がってるものってそんなにないんですよ。

McEnroeが最初にあるとしたら、その次はこれなんですよね。

Z:
見てたらそういう感じがしますね。

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物を造り上げるのには、膨大なエネルギーを要する...

エネルギーを分散させずに注ぎ込むのはアートに限らず大切なことだと思われます!

丸しか描けなくなったナオミちゃん。

その精神状態に至れたのは、ケガの巧妙とも言うべきでしょう!!

次回は現在のライフスタイルをメインにお送りします!

次回更新日は3月29日月曜日です!

風間 直実 其の一

10/03/15

自己に沸き上がった衝動を爆発させて、作品に投影...。

心と空想をリアルに表現するアーティスト、Naomi : SOUTHことナオミちゃんのインタビューです!

鎌倉でのゆったりとした雰囲気とは対照的に!熱く!アツく!語って頂きました!

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ZERO MAGAZINE(以下Z):
どーも!

NAOMI(以下N):
どーも!

Z:
ナオミちゃん、今は何という名前で活動してます?

N:
風間 直実でやってます。

Z:
SOUTHはもうやめました?

N:
あまり区分けするのは得意じゃないんですけど、ポスターを街に張ることだったり、ストリート的な活動の時はSOUTHって名前の感じが自分にありましたね。

そこから、バーンストーマーズや大図を通じて絵の方面に移行していくと、さらに世界が広がっていったんですよね。

作品が自分自身っていう感覚が高まってきたというか。

否定をしてるわけじゃないけど、SOUTHだと納得感が無くなってきたんですよ。

絵を描く行為が自分なので、自分の名前しかないと思いましたね。

Z:
そうなんですね。

ところで出身はどこですか?

N:
出身は鎌倉です。

Z:
ずっと鎌倉ですか?

N:
鎌倉で生まれて、その後は番組制作会社のADとかやって...。

Z:
え?

そんなのやってたんですか?

面白いっすね!

それはいつ頃ですか?

N:
高校出てすぐですから、18歳ですね。

周りの友達は大学行くか、専門学校行くかって感じだったんです。

俺には大学や専門学校っていう選択肢は無くて、唯一考えてたのは物を作ることでしたね。

それで、小さい所でしたけど広告代理店とかを受けに学ラン着て青山行ったりしてたんですよ。
『 う〜ん、どこも採用されなかったら、もう一度来て 』とか『 3年間は消しゴム買いに行ったり使いっぱしりだよ 』って面接官に言われてましたね。

その頃は社会のことなんて何も知らなかったですから、じゃあもういいや! って諦めました。

それでとりあえずバイトを探し始めて、見つけたバイトがアメ車屋だったんですね。

そこは番組制作会社の事業部がやってた会社だったんですよ。

『 所印の車はえらい 』って番組を制作してたんですけど、ロコモーションっていうテリー伊藤の会社でした。

それでバイトで雇ってもらえるようになって、そこでバイトをするとサニトラを貸してくれるって話だったんですよね。

Z:
ええ(笑)。

N:
わぁ! 俺、車ゲットや! ってことになりましたね〜。

その頃って頭の中は"車、サーフィン、女"しかないですからね(笑)。

だからそれで十分でした。

だけどその車屋がなくなって、制作会社からADしかないけどやる? って話をされたんですよ。

ADも物を作ることだったので、じゃあADやります! って言って始めることになりました。

Z:
なるほどね〜。

N:
で、某ディレクターのOOさんって方が居たんですけど、その人にセカンドで付いたんですよね。

当時の業界では当たり前だったかも知れないですけど、仮払いっていうのが出るんですよ。

一本のバラエティー番組の中でもVを何個か作るじゃないですか。

そのV一個に対して仮払いが10万、20万って感じで出るんですよね。

OOさんは20万の仮払いが出たら、199800円のShottの革ジャンを買っちゃうような人なんですよ。

Z:
マジですかっ!

N:
領収書は199800円でもらうじゃないですか。

だから仮払いの残額が200円しかないんですよ。

プロデューサーに領収書を提出するのはADなんですよね。

で、"電池代 199800円"とか書くんですよ(笑)。

でもOOさんだったらしょうがないな、で通っちゃうくらい凄い人だしたね。

とにかくVにもすごくこだわる人で、ロケが終わってそのまま編集所に入って、寝ずに延々『 はいカット! はいカット! 』ってやってるんですよ。

俺は編集所に入ったらやる事が無いので後ろで観てるだけなんですけど、子供みたいに『おい〜!今の面白ぇ〜よな〜!』って訊いてくるんですよ。

何なんだコレは!? でも素敵! みたいな感覚でしたね。

Z:
はい(笑)。

N:
その頃は『 イージーライダー 』とかの映画が好きで、映像っていいな〜!って思ってたんですよ。

サーフィンも好きでやってたから『 ハリウッドや...カリフォルニアや! 』ってなったんですよね。

もともとアメリカに憧れはあったんですけど、コレっていうのが無かったんですよ。

でもようやくハリウッド行って、映像を勉強したいっていう目標ができたんですよ。

Z:
いきなりハリウッドですか(笑)。

N:
英語は話せませんから、とりあえずハリウッド近くのサーフィンのメッカと言われているサンディエゴに行ったんですよ。

親父に留学させてくれって頼みました。

サンディエゴに行ったら調子が良くて、語学学校へ行って、短大へ行って、みたいな感じでポンポン進んでいったんですけど、映像なんかやらずに波乗りばっかりやってたんですよ。

Z:
ダメじゃないですか(笑)

N:
まあ、そうなんスけど(笑)

そんな時にObey Giant、Shepardに会うんですよね。

Z:
どこで会ったのですか?

N:
サンディエゴの友達が行ってたグラフィックの学校があって、そこに通ってた奴がShepardの手伝いをしてたんですよ。

それで会いに行ったんですよね。

その頃はサンディエゴの至る所にGiantが張ってあったから、当然知ってたんですけど、初めて会った時は、へえ〜、コイツがこんな事やってるんだって印象でしたね。

その前からアンディ・ウォーホルとかリキテンスタインとかのポップアートが好きでコレをやりたい! って思ってたんですよね。

Z:
映像を習いに行ったのに(笑)

N:
映像をやる為にハリウッド行ったけど、ハリウッドじゃなくてサンディエゴになって、サーフィン三昧の毎日を送って...。

そういえば、アメリカの短大では文章を提出するのとかすべてMACで、そこで初めてMACに触れましたね。

Phot Shop、Ilustratour、After Effectとか映像も全部MACで出来るし、ウェブも繋がってる環境でした。

何じゃコレは!? って思いましたね。

これがあったら映像なんて出来るし、何でも出来るやん!!! って思った瞬間に短大を卒業することなんて忘れて全部美術のクラスに変更したんですよ。

写真もやったし、油絵もやったし、ドローイングもやったし、アナログっていわれる部類のクラスは全部取って、終了したら今度はデジタルの学校にトランスファーしたんですよ。

Z:
すごい勢いですね。

N:
それでShepardに自分のデザインを見せて、コレをポスターにしてくれ! って言って家に連れて行ってもらったんですよ。

家のガレージが工場になってて、シルクをガンガン刷りまくってましたね。

それからShepardの事務所に通うようになりましたね。

デザインやって、ポスターを刷らせてもらってをずっと繰り返してましたね。

とりあえず学校を卒業して、日本に帰ってきて、錦糸町にあるTシャツプリント工場でバイトするようになりました。

そこの一室をポスター刷りの部屋に改造させてもらって、ポスター刷りながら街に張ったりしてましたね。

Z:
それはもうMcEnroeですか?

N:
McEnroeでしたね。

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Z:
McEnroeはいつ生まれたのですか?

N:
アメリカ行ってた時に出来てましたね。

アメリカから帰ってきて、張りながらもデザインの会社に居たんですけど、給料が出ないんです
よ。

Z:
ええ?どうしてたのですか?

N:
そこでPOWER MACを給料としてもらって、家でデザインしてましたね。

そうだそうだ! Tシャツプリントの会社の前にデザイン会社でした。

とにかくポスター作って、張ってを繰り返してましたね。

プリントもタダで出来ましたからね。

お金がかかるのはボディ代だけでしたね。

それでTシャツを作り始めたら、DEPTが買ってくれたんですよね。

Z:
Tシャツを?

N:
ええ、McEnroeのTシャツを。

そうすると、ポスターならダメだけど、Tシャツなら食えるかも知れないって額になるじゃないですか。

Z:
そうですね。

それはいつ頃ですか?

N:
アメリカから帰ったきたのが98年なので、2000年ぐらいですかね。

それでTシャツをケイスケ君とやり始めていくうちに、何か場所があったほうが良いよねって話になったんですよ。

物もストックできるし、デザインもできるし、ポスターも刷れるしって感じで。

で、物件探してたら、中目黒の商店街に空き物件があったんですよ。

Z:
大図ですね。

N:
1年だから敷金、礼金もいらないってことだったんで、これは好条件だと。

いざ、借りたらデカいじゃないですか、それに対してはね。

何か洋服屋をやるっていうのが、見えなかったんですよ。

自分がお店に立って接客するっていうのがイメージできなくて。

もっと面白いことがないかな? って考えた末、ShepardのSHOWをやろうって話になったんですよね。

それで端のほうに自分達の作った物を少し置いたら良いんじゃないかって感じでスタートしました。

Z:
なるほど。

N:
それで最初はGraphic Art Storeで頭文字を取って"GAS"にしたんですよ。

実験的でガス実験という風にやってたんですよね。

で、ShepardのSHOWをやったんですけども、その時にKAMIの作品が目に付いたんですよ。

凄く良い感じじゃないですか、何なんや!? これは! 感が。

特にシールで張ってるのが気になりましたね、僕も張るほうだったので。

これはどう見ても確信犯だな、と。

しかもイケてると思って、この人のSHOWをやろうよ! って話になったんですよ。

そうしたら、ダイコンちゃんがKAMIと繋がってたんですよね。

Z:
ダイコンちゃんは前から繋がってたのですか?

N:
ダイコンちゃんは何で知り合ったのかな〜?

リキヤ君だったかな?

まあ、それでKAMIを紹介してもらったんですよね。

KAMIはバーンストーマーズと繋がってるじゃないですか。

ヤバい奴がN.Y.に居る! って聞いて、DAVEを紹介してくれたんですよね。

それで会いに行って、SHOWをやってくれませんか? って頼んだんですよ。

そういう流れでSHOWをすることになって、だんだんリズムが生まれてきましたね。

そんな形でああいう場所になっていったんですよね。

大図をやり始めて、最初は面白かったんですけど人も増えてくるし、肺に穴空いたりもして大変でしたね。

Z:
確かそんな事ありましたよね。

N:
いろんな要因が重なったと思うんですよ。

タバコや不規則な生活やストレスもそうだろうし。

そんなこんなしてる時に子供が生まれて、地元に戻ったんですよ。

大図には車で通ってましたけど、そこからは徐々に洋服のほうに流れていきましたね。

Z:
意識が?

N:
そうですね、その時は意識が完全に絵と洋服でしたね。

Z:
ポスターもやめたのですか?

N:
ポスターはやめてないんですけど、やっぱりその頃、求められるのがそういった方面でしたね。

自分自身の意識はもうそっちになかったんですけど...もっと違う方向に行きたくて、必死にもがいてました。

だからみんなとは壁みたいなものも出来てたと思いますね。

結局、期限が来て大図も終わりましたね。

Z:
何年ぐらいやってたのですか?

N:
3年ぐらいですかね。

"9.11"の年でしたから、2001年から2004年ぐらいまであったんじゃないですかね。

いや! ちょっと待って!......

Z:
(笑)。

N:
2004年...までギリギリありましたね。

NAOMI3.jpg

AD時代を経て、映像に興味をもって渡米〜っ!

ハリウッドに向かうと思いきや、サンディエゴでサーフィン三昧!

しかし、そこには絵があり、サーフィンがあり、青春があった!!

大陸の風土で磨かれた感性は、日本で動き始めます!!!

次回は大図実験をさらに掘り下げて参ります!

次回更新日は3月22日月曜日です!

ER-ONE其の四

10/03/08

ERONEインタビューはいよいよ最終回!

本格的に音楽活動へ乗り出した矢先の出来事...!!!

ERONE18.jpg

Z:
じゃあKAN君とはかなり長い付き合いですね?

E:
KANとは15〜16年じゃないですかね。

未だによく分からないとこあるんですけど。

イマイチ自分を明かしてくれないんですよね(笑)。

S:
KAN君は謎が多いですからね(笑)。

Z:
そうですか〜、シブいですね。

E:
ヒダやんもCHIEF ROKKAになる前から知り合いですね。

チルモールとTHE VERVEの時からです。

Z:
ヒダ君、XX中の時でしょ?

E:
ヒダ君はXX中でしたね(笑)。

S:
ヒダやんは堺のYO!にもよく来てましたね。

Z:
そうですか、豊中から...遠いですね!

E:
俺はYO!まで地元からKANを拾って、車で行ってましたね。

自分らが月1でレギュラーやる前から、結構行ってました。

でも、1年半ぐらいやって、もうミナミに出ようって思いましたね。

Z:
おっ、遂にですね!

E:
ミナミに通い始めてからは、呼ばれるようになって。

Z:
ミナミから呼ばれるように(笑)!?

E:
はい(笑)。

クラブや人から呼ばれるようになって。

Z:
そうですか〜、韻踏合組合を結成して良かったですか?

E:
そうですね、何とか。

Z:
何とか(笑)。

E:
まあ、今年10周年なんで。

Z:
でもERONEはフルに10年間活動してないでしょ?

E:
そうですね(笑)。

まあ、お休み期間があったので...。

S:
さあ、ここから本番ですよ〜(笑)。

Z:
やっぱり、そこをみんな聞きたいんですよ。

E:
そうなんですかね〜?

もう何か興味ないって噂があるんですけども(笑)。

Z:
全国のヘッズは聞きたいはずですよ。

E:
ええ、分かりました。

Z:
何枚目のアルバムで脱退したのですか?

脱退じゃないですね(笑)、休業したのですか?

E:
1枚目が出る前ですね。

Z:
1枚目って何でしたっけ?

E:
『Volume.0』ですね。

Z:
え?あのアルバムには入ってないのですか?

E:
入ってますけど、発売される前に、もう飛んでましたね(笑)。

Z:
(笑)!

E:
だからデビュー前なんですよ。

俺が病気の時にデビューしましたね。

『critical11』なんて、いつの間に完成したんやろ? って感じですね。

ちょうど俺がブッ飛んでる時だったので。

Z:
その時どうでした?

CD発売されたの聴きました?

E:
みんなCD送ってくれて、家で引きこもりながら聴いてましたね。

Z:
完成度高いやん〜! って感じでした?

E:
そうですね(笑)。

Z:
そうですか〜、デビュー前には休業してたんですね。

E:
ええ、歩けなかったですから(笑)。

副作用で足とかプルプルプルッって震えてて。


Z:
(笑)。

その時どう思いました?

休業する時の気持ちって、どんな感じですか?

E:
う〜ん、そうですね...。

Z:
もう組合を辞めようと思ってました?

E:
いえ、ラップはやりたいと思ってました。

あの時、最終的に救急車で運ばれて行ったんですよね。

救急車って親の同意がないと乗れないんですよ。

Z:
親に救急車を呼ばれたのですか?

E:
そうですね。

Z:
ウチの息子の様子がちょっとおかしい、と?

E:
そうですね。

救急車って、自分が同意しないと乗れないんですけど、答えられない状態だったので、親が手続きをしてくれたんですよ。

どういう状況ですか? とかいろいろ聞かれて、救急車の人もすぐに、この症状はあの病院だなって感じで運ばれました。

それから2日ぐらい眠ってましたかね。

目が覚めたら、両手両足を縛られてたんですよ(笑)。

拘束! みたいな感じで。

1日ぐらいでその拘束は外されて、何か持って来て欲しい物ある?って聞かれたんで、『紙とペンだけ持って来てくれ!』って言ったんですよ。

ERONE19.jpg

Z:
シブい!

E:
まず、それが欲しかったですね。

この事をリリックに書かないと、と思って。

Z:
書きました?

E:
書きましたね。

Z:
何て曲?

聴いてないので(笑)。

E:
その病院から退院までの流れを、『 TRASH TALK 』の中の"ER-1緊急救命室1"っていうのでやってるんですよね。

何を言ってるか分からないですけど(笑)、自分が感じた幻覚や幻聴を言葉にしました。

Z:
そうなんですね、手足がパシッ!パシッ!って縛られて、あれ!?

みたいになってたんですね(笑)。

E:
ビックリしましたよ。

オカンに『 どうしたん?これ 』って聞いたら、理由を教えてくれて。

半分、夢みたいな感じだったんですけど、現実だったんだ!っていう感覚でしたね。

Z:
夢と現実の間だったんですね。

E:
目が覚めた時には、そう思ってましたね。

不思議なもんで、ああいうのってどんどん悪くなって行くんですよね。

年末ぐらいから自分の中でも何かおかしいな?って思い始めてて、それから1ヶ月ぐらいかけてテンパったんですよね。

Z:
1ヶ月ぐらいかけてテンパった(笑)。

E:
最後のほうは1日中歩いてましたからね。

足にボッコ〜ってマメができるくらいに。

家に帰れなかったんですよ。

家の方向も分かってるのに、『 そっちじゃない... 』みたいな声が聞こえてきて。

帰ったら世界が終わる!! みたいな超被害妄想で(笑)。

Z:
村長! 知ってました?

S:
はい、かなり知ってます(笑)。

Z:
家に帰ったら終わる!!って思ってたんですね。

E:
今は何となくしか憶えてないですけど、夜、DONFLEXの最終だったんですけど、みんな俺のことをおかしいって言ってたんですよね。

アイツ、速いのイッてるやろ? みたいな話をクラブ中で噂してて。

その時、KANとSATUSSYが家まで送ってくれたんですよ。

そこでもワケの分からん事を俺が言い出して、KANもSATUSSYも無理や!って思って帰ったんですよね。

さらに次の日の朝10時ぐらいに外へ出て、夜中の11時ぐらいまでずっと歩いてたんですよ。

Z:
家の近所を?

E:
もうミナミ全般ですね。

難波行って、心斎橋行って、とにかく家に帰れなかったんですよ。

Z:
世界終わるからね(笑)。

E:
世界終わりますから(笑)。

何か帰らせてくれないんですよ。

Z:
俺が俺を帰してくれない?

E:
そんな感じです。

で、何とか家に帰って、みんなも来てくれたんですよね。

そこから3日間ぐらい家で暴れ倒しました。

Z:
オラァァァ!!!って?

E:
ダイスが家に来たら、包丁向けてたみたいですからね。

『 お前、しまえよ! 』って言われて、ウッス。みたいな(笑)。

とにかくすごい被害妄想でしたね。

Z:
全員、敵でした?

E:
敵っていう感じでもなかったんですけど。

後に本を読んで知ったんですけど、精神分裂症や統合失調症の人って、症状がみんな一緒なんですよね。

自分が天皇の血筋を引いてるって思ったりとか。

Z:
へぇ〜、難しいですね。

E:
みんな見る妄想が一緒なんですよね。

実際、自分もそう思ってて、次の王は俺や!って思ってましたから(笑)。

俺ってすごい所に生まれてたんだな〜って。

Z:
全然違いますよね(笑)。

E:
そうなんですけど(笑)。

SATUSSYは岡山なんですけど、なぜか広島と勘違いしてて、『 仁義なき戦い 』とカブって、『 こいつは裏の王やな 』って勝手に思ったり。

ダイスは忍者の王、とかよく分からない思考回路になってしまってて(笑)。

テレビを観てても、全部自分のことを言ってるように聞こえてくるんですよね。

"組合"って言われても、ええ?組合?って。

Z:
俺、何かヤバい組織? みたいな感じですか(笑)?

E:
そうですね、それで最終的に病院に運ばれて行きました。

病院は23日ぐらいで退院できたんですけど、その後がハードでしたね。

点滴の副作用でズドーン!ってイッてしまいました。

Z:
キツい点滴なんですね?

E:
かなりキツいです。

妄想を抑える点滴で、副作用ありますよって言われてたんですけど。

Z:
その時にヤバい事件みたいなのは起こさなかったですか?

E:
鬱よりさらに下の状態で、感情も無くてメシも食べなかったんですよね。

口が動かなくてご飯が噛めない、みたいな感じで液状の物しか食べれなかったですね。

悲しいとかそういうのも無くて、まったく"無"の状態だったんですよ。

部屋で首にロープをグッと巻き付けて、死ねるかな?ってやったり。

もう死にたかったですね、あの時は。

まあ、無理だと思って、死ねなかったんですけど。

そういう状態で7〜8ヶ月続き、病院で処方される薬を飲み続けて徐々に回復していきましたね。

逆に抗鬱剤の飲み過ぎで躁状態になってしまって、ウッヒャ〜みたいな。

そんな形で人前に出られるようになったのは、入院から10ヶ月ぐらいしてからですかね。

Z:
そうなんですね〜。

E:
で、常に躁状態で居たもんですから韻踏からは、一緒にやられへんわって言われて...。

そんな時期がありましたね。

Z:
でも、また一緒にやってますもんね。

良かったですね、組合は。

E:
はい、帰って来れて良かったです。

みんなのおかげですよ。

ERONE15.jpg

Z:
それは脳が戻る時って、バシ!って戻れた感覚があるのですか?

E:
徐々に感覚が戻る感じですね。

最初はリリックとか書けなかったんですけど、だんだん感覚を取り戻して行きましたね。

『 ジャンガル 』が出て、そのツアー辺りからまたメンバーに加わるんですけど、 ヴァースも俺少ないし、どういたらええんやろ?って感じでしたね。

みんなはアルバム2枚分スキルアップしてたんですけど、俺はすごく落ちて上がって、みたいな感じだったから書けなかったですね。

昔ほどフリースタイルもできなくなってて。

結局、イマイチ病気も謎のままですね。

Z:
でも、そうなりますよね。

E:
病名とかも言われなかったんですよね。

クスリによるオーバードーズじゃないか?って言われますけど、シャブとかやってないですからね。

何だろうな〜?って思います。

Z:
ツアー行って、自分のヴァースが少なくて落ちました?

E:
でも、まあ少しだけの所に全神経を集中させてましたね。

そうこうしてる間に、OHYAの卵事件で脱退があリました。

Z:
その時どう思いました?

俺、戻ってきたのに!って感じですか?

E:
みんなが抜けるって言った時は、まだ俺はみんなとやってないから、やりたいって言いましたね。

例のヒダやんが背中出した時ですね(笑)。

Z:
噂の(笑)。

でも、良かったですね。

E:
そうですね、下手したらずっと病院ですからね。

ギリギリでした。

病院の中は本当にすごかったんですよ。

ずっとティッシュ食ってる奴とか居るんですよ。

モグモグして、また吐き出すみたいな。

それで俺が『 ちょっと、そんなんしたらアカンで! 』って言ったら、『 これ俺の病気やねん 』って返されました。

あとは軍艦マーチを歌いながら、病院内を歩いてる奴が居て、進むごとにメンバーが増えて、最終的に5〜6人で歌ってる集団とか(笑)。

Z:
それにはERONE君、加わってなかったですか?

E:
俺はさすがに参加してなかったですよ(笑)。

その病院で2日ぐらい居たら、さらに頭おかしなるわって思いましたね。

逆に危ない!って頭が働きましたね。

完全に閉鎖病棟で、鍵がかかってて外にも出られないんですよね。

Z:
イタいですね、それ。

E:
メチャクチャ危ない病院ですよ。

Z:
どこ入れてくれんねん!って感じですよね?

E:
俺、違うし!って思ってましたよ(笑)。

そんな中の個室に入って3〜4日過ごしましたね。

部屋にはベッドと和式のトイレがあるんですけど、ティッシュのカラカラすら無いんですよね。

ティッシュがボンッ、って置いてあるだけで。

Z:
カラカラ、切りますもんね、あれ。

E:
多分、そうですね。

鉄格子の窓で、ええ〜!どこ!?ってなりましたよ(笑)。

Z:
そう考えると、韻踏合組合があって良かったですね。

E:
戻って来れて本当に良かったです。

Z:
その時、村長はどう思いました?

S:
まあ、僕もその病院に行きましたからね(笑)。

Z:
どうでした?

S:
かなりCHAOSな感じでしたよ。

Z:
これはアカン!!って感じですか(笑)?

S:
その病棟自体がエリアの中でさらに隔離されてるみたいな。

なかなかそこまで辿り着けないですよ。

Z:
危ないですもんね。

E:
もともとその病院全部がそんな感じなんですけど、その中でもさらに奥に入れられてましたね。

Z:
一番ハードコアな人達が揃ってましたか?

S:
一番アンダーグラウンドでしたよ(笑)。

Z:
チルモールですね!

E:
モール違いですよね(笑)。

Z:
その病院をチルモールにすれば良いんですよね。

チルしてもらうモールで(笑)。

E:
でも、その時はみんな無理やろって思ったんじゃないですかね。

完全におかしくなりましたから。

Z:
ええ、知ってますよ。

自分も見たことありますから(笑)。

E:
マジですか?

Z:
あれは真冬だったと思うんですけど、ERONE君、半袖にニッカポッカでチャリンコ爆走してましたね。

E:
それは躁状態の時ですね(笑)。

Z:
ええ!? と思いましたよ(笑)。

かなり寒い日だったんですけど、白の半袖でチャリンコをクィーーン!って漕いでましたね、汗だくで。

E:
ニッカポッカ穿いてましたね〜。

Z:
えんじ色のを。

E:
はい。

日本のディッキーズはこれや!って思ってましたから(笑)。

Z:
もう、声をかけれなかったですね。

危ない!と思いましたから(笑)。

誰かの車に乗ってる時に発見したんですけど、真冬に半袖、汗だくで、信号無視ですよ。

何だ?あいつ! 危ないから声かけるのやめよう。 と思いましたね。

S:
それは危ないですね(笑)。

E:
よく捕まらなかったですよ(笑)。

別に何も持ってなかったですけど。

ガイキチでしたね(笑)。

Z:
ガイキチ(笑)。

そうですか〜、もう十分ですね。

これぐらいで(笑)。

ニューアルバムのことは、いろんな雑誌で語ってますからね。

E:
そうですね、これからも頑張ります!

Z:
最後に言いたいんですけど、ニューアルバム...爽やか過ぎますよ(笑)。

E:
(笑)!

聴いてもらえましたか。

Z:
聴きましたよ。

良かったですよ。

でも、爽やかなERONEはあまり見たくないんですよね(笑)。

E:
押忍、ありがとうございます!

Z:
次は、MASA FRESH(笑)!マサ古山で!!!

E:
ほとんど本名じゃないですか(笑)!

Z:
もう爽やかは無理ですよ。

E:
まあ、インタビューを見てもらったら分かる通り、まったく爽やかじゃないですからね(笑)。

Z:
MCマサ、DJヒロシ、サトーシーで。

E:
ほとんど本名(笑)。

じゃあCHIEF ROKKAも変えないとダメですよね?

Z:
変えましょ、変えましょ。

それでアトランタ進出ですね。

『 何で日本人なのにERONEだ? 』って言われますよ。

E:
マサ之真とか、マサの神とかは?

何とかゴッドみたいな感じで良くないですか?

Z:
それもちょっと違うな〜(笑)。

S:
分かり易いのが良いんで、やっぱりMASAですよ。

Z:
そうですね、マサ古山。

E:
マサ古山はヤバいですって(笑)!それこそハウスっぽいですよ。

Z:
お! ニューヨーク行って、出来るじゃないですか。

ハウスDJの友達、何て名前でしたっけ?

E:
セイタです。

Z:
セイタ&マサ古山、イケてますよ!

じゃあ、最後はマサ古山で締めておきますね。

E:
はい(笑)。

マサ古山をよろしくで!

ニューアルバム出てますので。

マサ物語...マサ夢物語!

おお、こっちのほうが良いですね!

Z:
そっちのほうが良かったんじゃないですか(笑)。

S:
変えましょうか、今から。

E:
MCマサ古山物語(笑)!

S:
それでは(笑)、マサ古山、頑張って下さい!

E:
はい!ありがとうございました!

ERONE17.jpg


脳天から殴り下ろされ、地面に落ちる前に突き上げるアッパーカット!

振れ幅が大きいほどドラマティックな人生が展開する...。

たとえ、数奇な運命であっても、いずれ帳尻は合うものだと実感しました。

そして次回作、ERONE氏のクレジットが気になるばかりです!!!

次回のインタビューの更新日は3月15日です!!!

ER-ONE其の三

10/03/01

前回に引き続きERONEインタビュー、パート3!

農芸高校から、料理の道へ...。

その壮絶なる板前修行に耐えきることができたのか?

ERONE9.jpg

E:
アメ村には中学校ぐらいから行ってましたね。

Z:
アメ村に何の目的で行ってたのですか?

E:
服を買いにです。

Z:
カツアゲしに行ったんじゃないですよね?

E:
カツアゲはしてないし、されてないですね(笑)。

難波から商店街を歩いて心斎橋まで向かいましたね。

商店街のぼったくりの店で、たまにぼったくられながらも(笑)。

アメ村ではいろいろやってましたね。

Z:
アメ村で何をやってたのですか?

E:
結局は、服を買ってただけですけどね(笑)。

ひたすら、これお洒落やな〜! とか言いながら、服を見てました。

フライヤーもよく持って帰ってましたね。

Z:
それは1人で行ってたのですか?

E:
友達と行ってましたね。

1人で行く勇気は無かったので。

Z:
村長は1人で行ってましたよ、岡山で。

ねえ?

S:
ええ、クラブですけどね。

E:
俺もクラブは1人でしたね。

Z:
そうなんですね!

E:
バリバリ1人ですよ。

友達は誰も行かなかったので。

ナンパもできないし、酒も知らないですから、ひたすらライブを最前列で観てましたね。

サインもらったりとか。

Z:
それはすごいですね!

E:
キングギドラが初めて来た時は、LB祭りとかラップヌードルで見たのと違った空気を感じましたね。

Z:
確かに、全然違いますもんね。

E:
みんなタオル被って、エラい低い態勢で。

WU-TANGとかで狂喜乱舞してて。

Z:
それも高校生の頃ですか?

E:
それはもう専門学校へ行ってました。

18〜19歳ぐらいですね。

料理人になろうと思って、辻調理師専門学校へ行ってたんですよ。

辻調の頃は、ひたすらクラブに行きまくってましたね。

それこそクラブ全盛期で、友達の家に泊まりながら行ってましたね。

専門学校の友達とはよく遊んでました。

友達はよくシンナー吸って、クラブに遊びに行ってましたね(笑)。

Z:
クラブに!?

危ない奴ですね(笑)。

E:
ちなみにそいつは、今ニューヨークでハウスのDJやってるんですよ。

Z:
マジですか!?

シンナーが違う物になってしまって(笑)。

じゃあ、アッチ系ですね。

E:
確かに、もともとアッチ系ぽかったですね。

Z:
やっぱり、ハウスで上に行くには、まずケツを掘られないとダメでしょ。

だって、上半身ムキムキの裸でDJしてる意味が分からないですから。

E:
そうですね(笑)。

Z:
リスナーの彼らにアピールしてるわけですよね。

E:
抱いていいよ、みたいな。

Z:
抱いてやろうか、ぐらいじゃないですか。

何だったら、お前来いよ、みたいな(笑)。

そうですか〜、1人でクラブ行ってたんですね、寂しいですね。

E:
とにかくフライヤーが情報源でしたね。

あとはカジカジに載ってるクラブ情報をスミからスミまで見てクラブ行ってましたね。

Z:
すごいですね。

もちろんお金払ってでしょ?

E:
もちろん払ってましたよ。

Z:
もったいないお金払ってますね〜(笑)。

E:
3500円とか払ってましたね。

田舎から行ってましたから、電車賃だけで往復1500円ぐらいかかりますからね。

Z:
5000円は痛いですね!

高校生の頃の5000円はかなり大金ですもんね。

そのお金はどこから出てきたのですか?

E:
バイトをしてたんですよ。

Z:
何の?

E:
ロッテリアですね(笑)。

Z:
絶品チーズバーガーですか。

E:
ハンバーガーばっかり作ってましたね。

Z:
HIDADDYが歌ってますけど、絶品チーズバーガー。

『 これ、前から言いたかったんですよ! 』って彼は話してました(笑)。

E:
かなり好きですからね(笑)。

Z:
そういえば、ウェンディーズが潰れましたね。

E:
潰れるってなってから、やたら並んでたみたいですね。

Z:
食べられない人もいっぱい居たみたいですよ。

...何の話ですか(笑)。

E:
ハンバーガー話ですね(笑)。

Z:
ロッテリアでは何をしてたのですか?

E:
普通にバイトですね。

Z:
作ってた?

E:
ええ、レジも打ってましたし。

田舎のロッテリアだったので、かなり出世もしたんですよね。

Z:
店長?

E:
店長ではないんですけど。

Z:
バイトチーフぐらいですか?

E:
そうですね、バイトで一番偉い人間でしたね。

Z:
バイトの女抱いてたんじゃないですか?

時給上げたる! とか言って。

E:
2人ぐらい食いましたね(笑)。

Z:
50円上げたる〜! って?

E:
はい(笑)。

S:
そんな権力持ってるんですか(笑)?

Z:
持ってますよね?

E:
いやいや、そこまでじゃないですけどね。

食ったというか、付き合ったみたいな。

Z:
ヤってた?

E:
ヤってましたね。

Z:
ハンバーガー食わせて?

E:
お前のシェイク見せろや!!! って言って(笑)。

Z:
マジですか、もうその時点でERONEになってますよね(笑)!!

調理師は、なぜ目指そうと思ったのですか?

E:
料理が好きだったんですよね。

食うのも好きで、家でよく作ってたんですよ。

それで辻調に入って、吉兆に合格したんですよ。

Z:
すごいですね!吉兆。

E:
誰でも合格できるんですよ(笑)。

Z:
今はもう吉兆って無いですよね?

E:
吉兆も5つあるんですよ、問題になったのは船場の吉兆なんですけど、僕が入ったのは神戸の吉兆なんですよね。

どっちかと言えば、船場吉兆に入っとけば良かったんですけど(笑)。

で、専門学校を卒業してから、神戸吉兆で働き始めるんですよね。

Z:
神戸に住んでいたのですか?

E:
芦屋の寮に住んで、三ノ宮のOPAまで通ってたんですよ。

Z:
寮暮らしで悶々としてた、と?

E:
はい。

Z:
ラップは?

ラップ無くなってますよ(笑)。

E:
ああ、そうですね(笑)。

吉兆に行ってからは、しばらくラップもできなかったんですよ。

逆にKANは浪人してて、俺が専門学校でクラブ行きまくってる時は、勉強でクラブへ行けなかったんですよね。

それでKANが大学行き始めたら、俺は仕事に追われてクラブ行けない状態で。

吉兆ってかなりキツいんですよね。

朝4時に起きて、始発乗って行くんですよ。

Z:
とりあえず下駄を履くでしょ?

E:
下駄は履かなかったですけど(笑)。

Z:
そうですか。

E:
朝早くから始発に乗って......

Z:
高い下駄、履かないですか?

E:
高い下駄は履かないです(笑)

S:
れかなりレベル高い人ですね(笑)。

E:
それで5時ぐらいから働くんですよ。

Z:
5時から何をするんですか?

E:
ひたすら仕込みですね。

2時間、大根をすりおろしたり。

Z:
キっツい〜!

E:
俺は焼き場だったんですけど、何かと仕込みをやってましたね。

Z:
焼き場って、良い所じゃないですか?

料理の花形でしょ?

E:
まあ、良い所なんですけど、焼き場の下っ端ですね。

先輩が居て、その雑用みたいな感じですよ。

そこでかんてき(七輪)で、やけどしながら火を熾して。

味付けとかは一切できないので雑用ですね。

Z:
その時は何て呼ばれてました?

E:
古山、だったかな?

もう、名前なんて呼ばれないですね。

先輩にぶつかって、『 ごめんなさい! 』って言ったら、『 すいませんやろ! 』って蹴られるんですよ。

ええ〜!? とか思いますよね。

Z:
謝ってるのに!

E:
朝5時から働いて、2時ぐらいにとりあえず先輩がメシを食うんですよ。

Z:
遅いですね!!

E:
あれ? 朝メシあったっけな?

Z:
あるでしょ!5時から働いてたら(笑)。

E:
あ、いや、まあ下手したら9時ぐらいにあったかも知れないですけど。

Z:
いや、あるでしょ!お腹減るでしょ(笑)。

E:
う〜ん、あったかな?

何かあったような気もするんですけど。

でも実際、俺らがメシを食えるのは夕方の4時ぐらいなんですよ。

5分ぐらいでメシを食わなきゃダメなんですよね。

そこから夜の部が始まって、先輩が9時頃メシを食って、その後11時に俺らはメシを5分以内に食う、みたいな。

その頃に先輩は帰って、後片付けや掃除をして終わるのは深夜1時ぐらいなんですよね。

Z:
電車無いですよね?

E:
ギリギリ終電があるんですよ。

それで寮に帰って、先輩の入った後の汚い風呂に入って、1時半ぐらいにやっと寝れるって感じですね。

次の日は、また4時起きです。

Z:
うわ〜...キツい。

E:
寮で4人部屋でしたね。

それで4日働いて、5日目に逃げましたね。

無理〜!とか思って。

Z:
ちょっと待って下さい。

ずっと働いてたような話でしたけど?

E:
実際は4日です(笑)。

もう無理や〜、って思いましたから。

Z:
全然、根性無しじゃないですか、ERONEさん!

E:
でも、『 吉兆 』で3年働いたら、普通の料亭で10年働くスキルと価値が付くんですよね。

Z:
付くも何も、4日でしょ(笑)。

話の流れだと、3年ぐらいやってたのかな? と思ってましたけど、4日!

速攻ですね(笑)。

E:
逃げたのは、俺と友達だけでしたね。

俺は4日で逃げて、友達は1週間でした。

寮では4人部屋で、1人先輩であとの3人が同期だったんですよね。

荷物まとめて、布団袋に詰めて、『 帰るわ!!! 』ってタクシー乗って天王寺の友達の家まで逃げました(笑)。

Z:
タクシー?

かなり豪勢ですね。

E:
本当に無理だ! って思ったんですよ。

月給も12万ぐらいしかないんですよね。

もちろん貰ってないですけど。

Z:
4日で逃げて、くれるワケないでしょう(笑)。

E:
そうなんですけどね(笑)。

寮があるから、働いても12万だったんですよ。

Z:
お金を使う暇も無いですもんね。

E:
寮の部屋も料理の本ばっかりで、そこまで俺は料理が好きじゃないって思いましたね。

Z:
辞めてから、お母さんには何て言いました?

E:
辞めたわ〜って言ったら、しゃ〜ないな...って感じでしたね。

辞めるって言わずに、いきなり逃げたから当然店から電話がかかってきてましたけどね。

で、その後にアメ村で働くようになるんですよね。

4月に吉兆入って、4日で辞めて5月からアメ村で働きだすんですよ。

ERONE8.jpg

Z:
何をやってたのですか?

E:
服屋ですね。

WALKIN'に入るんですよ(笑)。

俺のWALKIN'時代ッス!!

Z:
WALKIN'時代はどうでした?



E:
で、最初はBIG STEPの目の前のお店に入らされたんですよね。

ピタッとくっついた接客で売ってましたね。

『 お兄さん、何探してるんスか〜 』みたいな超ウザい店員でした(笑)。

Z:
客からしたら『 お前や! 』って話ですよね(笑)。

E:
『ちょっと来いや!』って言われてね(笑)。

あの頃は、アメ村もやたらと人が多かったんで、アホほど売れてましたね。

Z:
今はヤバいですよね。

E:
もう、全然売れないみたいですよ。

WALKIN'で4〜5年働いてましたね。

そのぐらいから、SATUSSY達と知り合うんですかね。

Z:
KAN君とはまたブッキングされるんですね?

E:
そうですね、KANも大学通ってて、またクラブ行こうやって感じで。

Z:
『 お前、4日で辞めるって早ないか? 』って言われました?

E:
その時は言われましたね(笑)。

それで、ラップを観にいこや! って。

ラップで食っていこうとか思ってなかったですけど、ラップがあったってのは大きかったですね。

もっとヒップホップを観たいと思いましたね。

俺はラッパーだ! みたいな(笑)。

Z:
ERONEだダス! みたいな(笑)?

E:
そうっすね〜(笑)。

S:
でも、まだMASAですよね?

Z:
そうそう、そうですよ。

E:
いえ、その時はもうERONEですね。

高校の時からERONEなので。

専門学校では、俺のことERONEって呼んでくれ、って言ってましたから(笑)。

Z:
そうなんですね、アメ村で?

E:
ええ、アメ村です。

Z:
お前、頭大丈夫け? って言われませんでした(笑)?

S:
外人的な感じですよね。

E:
まあ、そんな感じですかね(笑)。

Z:
その時はヒロシとERONEでやってたのですか?

ところで、山本ヒロシって"寛"って書くから、KANって名前になったのですか?

E:
その説もあるんですけど、『愛は勝つ』を歌ってるKANに似てるっていうのもあるみたいなんですよね。

高校の頃からKANって呼ばれてましたけど。

Z:
なるほどね。

一番最初に組んだグループはCHIEF ROKKAじゃないんですよね?

E:
一番最初は、チルモールっていうグループです。

Z:
来ましたね(笑)。

E:
チルするモグラです(笑)。

モールはモグラなんですよね。

S:
何かアンダーグラウンドっぽい感じじゃないですか〜(笑)。

Z:
やっぱり若い頃って名前の付け方が無謀ですよね(笑)。

S:
地下でチルってどうすんねん! っていう。

E:
ただのクズやんけ!! って感じですよね(笑)。

Z:
冬眠せえ! ですよね(笑)。

E:
チルっていう響きにやられただけで、クサとかも吸ってないのにチルモール。

ヒロシと2人でやってましたね。

Z:
『ヒロシと』って(笑)。

E:
ヒロシ、いやKANもラップしてたんですよ。

Z:
あ、DJじゃなかったんですね。

E:
DJも居なくて、2人で曲を考えてましたね。

そうだ、チルモールの前に、高校で維新っていうグループを組んでましたね。

さっき話してたハウスDJと一緒に。

Z:
あのニューヨークでゲイになったという(笑)。

E:
はい、ゲイになってるであろうセイタって奴と維新ってクルーをやってましたね。

高校ではMC ERONE & DJテッパって名前でやってましたね。

Z:
(笑)!

E:
周りに他にもいろいろ居たんですよ。

MC山椒とか。

一同:(爆笑)!!!

E:
そいつは中学の同級生で、めちゃチビの奴なんですけど(笑)。

もちろんKANも居ましたね。

維新では1〜2曲インストで作ったんですけど、ライブすることもなく、録音することもなく自然消滅しましたね。

それで、KANとチルモールを始めた頃に堺にあるYO!ってクラブで山本さんとかがやってたイベントに行ってたんですよ。

確か三木道三も出てましたね。

堺は近かったので、車でよく行ってましたね。

そのクラブでフリースタイルの時間にSATUSSYもよく来てて、知り合ったんですよ。

S:
その時、オープンマイクとかもあったんですよね。

Z:
それもこの間のインタビューの時に聞いたんですけど、消えちゃったんですよね(笑)。

E:
KANの大学の時の友達がSATUSSYのDJをやってたんですよね。

あれ誰だったっけな?

Z:
名前忘れられてますね。

S:
リョウ?

E:
リョウじゃなくて...。

S:
ヒロッチだったっけ?

E:
そうだったかな...イマイチ思い出せないけど。

それでSATUSSYは堺のRED HOUSEっていうレコード屋の横にあるライブハウスで大学生イベントみたいなことをやってたんですよ。

夕方4時から夜10時までぐらいの感じで。

それに俺も出るようになったんですよね。

Z:
チルモールで?

E:
チルモールですね。

Z:
その映像とか無いですか?

E:
それは無いですね〜。

そのライブが学祭以来、初めてのライブですね。

Z:
かなり長い期間空いてますね!

E:
2年ぐらいですね。

フリースタイルとかは、クラブで乱入してたまにやってましたけど。

それで途中からKANがDJをやりたいって言い出したんですよね。

ターンテーブル買って、KANがDJになって、俺がMCで。

チルモールで1〜2年やりましたね、堺で。

チルモールと、もうひとつTHE VERVEってグループがあって、同じクルー内だけど別で動いてましたね。

Z:
THE VERVE?

E:
何か"衝撃"とか"衝動"とかそういう意味だったと思うんですけども。

そんな感じでヒダやんも入ってきてみたいな流れですね。

Z:
チルモールとTHE VERVEを経て、CHIEF ROKKAになったんですね。

E:
前のSASUSSYのインタビューを読んでいただければ、分かるように、DJが飛んだり、女の子が居なくなったりして。

Z:
あ、伝説の?

何支部でしたっけ?

E:
アトランタ支部ですね(笑)。

S:
その子はシンガーですね。

E:
多分、別々のクルーで1年以上やってたと思うんですよね。

それにしても...チルモールって(笑)。

ダサいですね!

♪ここ大阪〜♪みたいな曲やってましたね。

Z:
何それ(笑)?

E:
一応、曲ですね(笑)。

サビです。

S:
DJ KANのラップはやっぱりレアですよ。

Z:
その頃の作品はありますか?

E:
チルモールは...。

Z:
あるんでしょ?

E:
探したら、テープがあるかも知れないですね。

Z:
それをMP3で流しましょう(笑)。

E:
あったかな〜(笑)。

初期CHIEF ROKKAのテープはあると思うんですけど。

チルモール、僕の家にあるかも知れないです。

Z:
ぜひ、探しましょう!

E:
テープをMP3で起こして...ヒドいですよ、今では聴けないような。

Z:
みんな、初めはヒドいんですって。

E:
そうですよね。 

でもSATUSSYは最初から完成されてましたよ。

KANが『あの人CD出せるで〜!』って言ってましたから(笑)。

S&Z:(笑)!

S:
テープで作ってるのに(笑)。

ERONE11.jpg


吉兆から飛び出して、ミナミの街へ...。

包丁をマイクに握りかえて、MC ERONE誕生!

次回いよいよ最終回、謎に包まれていたあの事柄の真相を激白!!

これは絶対に見逃せません〜!!


次回更新日は3月8日月曜日です!
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